ブログの文体ちょっと変えようかなと思っています。
文体と言うか書いているときの意識といった方が良いかもしれません。
僕はブログ書く時の感覚って本当に独り言の感覚というか思考の整理というかそういう気持ちで書いていたのですが、この感覚で文章を書いているとちょっとあたりの強い文章になってしまうかなあと思いました。
ひとつそれを実感したエピソードがあります。
僕は芸人さんの話を聞くのが好きでその流れでカジサックの芸人対談の動画が好きなんですよ。
そっちのちゃんねるはなんというかビジネスハウトゥー的な意識の高いチャンネルです。
最初は西野さん凄い努力してるし考えてるし聞いていて励みになるなあと楽しかったんですが何十本も聞いていると段々駄目な人への当たりの強さが気になってきてあまり見なくなってしまいました。
たぶん西野さんはオンラインサロンで色んな人に何十回も同じような質問をされる立場だからこういうこと聞いてくるやつは駄目みたいなことを言いたくなるんだろうと思います。
でもやっぱりそういう発言を何個も聞いているとなんか気難しい人だなという印象になってしまいます。
けれど毎週キングコングで見る時の西野さんはやっぱり良い人っぽく見えるんですよね。
個人チャンネルの時のような発言もあるんですけど梶原さんと喋っているときだと笑い話として聞けるというか。
この差ってなんなのかなって考えた時に他人がいるかどうかっていうのが大きい気がしました。
その人自身の考え方は変わっていないけど他人を意識した発言になると多少空気を読んで悪く受け取られないように気を使います。
この気遣いがないと思考の垂れ流しになりちょっとキツイ言葉なども出てきてしまうんじゃないかと思いました。
それを踏まえて自分のことも考えてみました。
最近バトル漫画をよく読むのでその感想としてこういうノリのバトル漫画が好きという記事を長々と書いたんですよ。
で一日たって読み返してみたらなんというかちょっと当たりが強い文章になってしまったかなと感じて公開を止めてしまいました。
決して他人の作品を貶めるようなことは書いていないんですが、どうしても自分の好みを語るうえでここがこうだったらもっと好きなのになという部分も出てきます。
それ自体は良いんです。別に作品を中傷してるわけでもないしあくまで自分自身の好みの分析なので。
でもなんというか独り言の文体で書いたせいかちょっと偉そうに見えるな…と思いました。
秘密の日記帳だったらどんな文章の書き方でも良いと思うんですが、このブログは一応他人に読んでもらう文章だし、あくまで内容は日記や思考整理でいいけど意識はちゃんと他人に話してる感覚で書いた方が良いかなと思いなおしました。
なのでちょっとブログ書く時の意識を変えます。
と言っても敬語になっただけじゃねえか!というツッコミも聞こえてきそうですが、まあ敬語になっただけでも多少文章は柔らかくなるでしょう。