豚もうブログ

主に友達や友達になれそうな人へ向けた日記

日記

ブログ書きたいと思ってるけど、

長文書いてると途中でめんどくさってなって止めてしまう。

なので友人に習って、短い日記として書いてみる。

 

月曜

○雪

・朝起きたらめっちゃ雪降ってる。

起きたの遅かったし、雪降ってるしで、

「今日は引きこもろう」と決めた。

コンビニで好きなもの買い込んで、

新連載用のキャラデ等を描いてた。

 

火曜 水曜

あんま覚えてない

 

木曜

◯ウォーキング

友人と近くの公園で散歩した。

久々に人と会話してて面白いと感じた。

 

最近悩みとして、

今自分がハマっていることに興味がない人といる時に、特に話したいことがない、というのがある。

「最近仕事どう?」とか当たり障りのない質問は浮かぶが、

本心は興味ないこと聞くと、聞いてて感情は動かないし、相槌を打つのもめんどくさいので、

適当な質問で間を埋めるのをやめようと思った。

すると、他人といる時、自分のする質問多くが、間を埋めるために聞いてるだけだと気づいて、

口数が減った。

 

そう思っていたが、この友人と喋ってるのは面白い。

ハマっているものは昔と違い、どんかぶりはしていないんだけど、

考え方が似ているからか、当たり障りのない会話のキャッチボールでウォーミングアップしたあと、

やりとりがどんどん面白くなっていく。

楽しかった。

 

金曜、土曜

ポケモン

先週、マスターデュエルにハマっていた。

 

ゲーム対して一つ考え方を変えた点がある。

「実力はあれど、運要素はかなりデカい」という点だ。

 

仕事中にポケモンYouTubeを見ることが多い。

じわれとか絶対零度って技は、当てたら一発で瀕死なんだけど、当たる確率が30%。

ただ感覚として打たれると結構当たる。

何発も打たれてるとそりゃあ当たる確率も上がる。2発打たれた時点で、当たる確率は50%らしい。

でも、そもそも1発で当てられて負け試合になることも結構ある。

一戦一戦を大事しすぎると、そういう負け方をしたときに

「ゲームって運の要素デカすぎだろ…萎えるわ」

って思っていた。

しかし、マジで何十試合もしているとそういう負けの数は減る。

言うて、確率30%だからだ。

数試合の中で悪い運を多く引くことはあるけど、何十試合もやると確率どおりになっていく。

 

その考えに気づいて、カードゲームは…

っていうか遊戯王はこの「運の要素はデカい」がより濃いよなって思いマスターデュエルをやりたくなった。

まず50%の後攻引いたら負け濃厚だし、先行取れても自分の手札と相手の誘発噛み合ったら負けるし。

でも一戦一戦を真面目に捉えすぎないで

「今このデッキ、テキトーに回したら勝率何パーぐらいになるんだろう」

とたくさん試合数こなす前提でやっていたらなんか気楽にやれて面白かった。

 

で、マスターデュエルにある程度満足したから、今週はポケモンやっていた。

ハチマキウーラオスに悪テラス切って全てを粉砕するのを軸にやっていた。

 

この「ゲームは運要素デカいから、真面目に考えすぎないで続ける」って考え方、

ゲーム以外でも有効な気がしている。

「物事なんて運が大きい」って考え方、何かから逃げてる人の言い訳として使われがちな言葉だから好きじゃなかったんだけど、

続ける前提なんだったら、一個一個の失敗を真面目に考えないで

「はい、運ゲ運ゲ、今日は調子悪いんだな」で心が楽でいられるならその方が良いのかもな、と思った。

真面目に振り返って心を蝕むくらいなら、テキトーにやって長く好きでいられる方が良い。

 

日曜

◯演劇

ブログに書いたか覚えてないけど、夏ぐらいから元会社の先輩の演劇サークルに入ってる。

で、毎週土曜か、日曜は稽古に行っている。

演劇はおもろい!

カラオケが好きで大声出すのに慣れてるのと、マンガを描くから頭の中ではセリフを言っているからか、

実際に演技をしたらめちゃくちゃハマった。

毎週面白いし、全然飽きない。

来月に初舞台。

なので台詞の暗記をしてたんだけど、台本持たずに掛け合いをしていると、

より台詞が自分のことのように話せて、面白え~となってた。

 

余談だが「当たり障りのない会話がつまらん病」が加速しているのは、

歌っている時、台詞喋ってる時、すげ~気持ちいいからというのがある。

ノッてない会話している時はただただ窮屈な時間なことが多い。

 

月曜

◯さいたまマラソン

友人に誘われていたさいたまマラソンにでた。

ポケモンやりすぎて昼夜逆転したところに、朝7時会場とめちゃくちゃ時間がキツかった。

ゆっくり走っていれば行けるかなと思っていたが、

27キロぐらいの関門に間に合わず、完走できなかった。

 

敗因は前半飛ばしすぎた。

走り切れる速さがわからず周りに合わせていたが、普段の自分の走るペースより明らかに早く、

このペースで6時間走るの無理だなという思いから、と徐々にペースが落ちていった。

すると後ろの方にはベースランナーというのがいて、

この人と一緒に走っていればギリギリ走れ切れるよ、という指標の人だった。

ただ、その人の存在に気づいた時は既に余裕がなくてついて行けなかったので、

最初っから「いつもの自分のペース」に落として走っていれば、早めに後ろに行けて、そういう人に気づけたかもしれない。

 

後は、「マジで最低限のエネルギーで走る」のが大事とも思った。

大抵の人はぶっとい足の明らかに走ってますって人で、

「ああ、普段の走りから速くして、筋肉ないと完走できないのかな」と思ったんだけど、

中には自分と同じような足の細いおじいちゃんもいて、

エネルギーの効率良ければあんな細い人でも走り切れるんだな、と関心した。

 

それと、「時間に迫られながら走らされる」のは全然楽しくねえ!

僕は走るのが好きだ。なぜなら健康意識のために嫌々走ってる人と違い、

「なんか今日走りてえな」と思った時しか走らないし、ペースも気持ちよさを感じる速度で走るから、

走るという言葉に対して嫌なイメージがなく、本心から好きと言っている。

でも、タイムリミットに間に合うように走るのは全然ちげえ…辛い、足痛い。

 

ラソンが好きな人の感想として

「走ってる時は辛いんですけど、完走すると達成感がすごいんですよ」

というのがある。

これは俺がやってる「走る」とは根本的に違う。

どっちかっていうと筋トレに近い行為だ。

耐えて耐えて、はあーやり切った!って感覚。

俺の「走る」は「気分が良い日のお散歩」の延長線上にある。

そりゃあ辛いはずだ…。

 

全然楽しくなかったし辛かったんだけど、来年も友達とマラソン出ようなという話になった。

走ってる時は辛かったけど、色々自分の感情の動きが面白かった。

部活の試合の日を思い出した。

始まる前、周りが準備運動しながらソワソワしてる感じもそうだし、

走りきれなくって帰ってきたとき、かなりイライラしていて周りがムカついたんだけど、

あとになって「ああ、あの感じ、部活の試合で悪い負け方したときの感覚に近いな」と思った。

そのあとに友達とあーだこーだ喋っているのも、「試合帰りのバスの中の感覚」に近くて、

なんか懐かしかった。

 

ただ、今は足が痛え!筋肉痛やばすぎて階段がチビチビとしか登れなくなったw

 

 

 

画像は1月に結局ネットに上げなかったメリエルちゃん。

インターネットに顔出すのは今年初だからまあいいでしょう